【仏壇・仏具・神具】【ヒロシ】おすすめ 

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1位

¥2,960 円

評価: 4

野宿の匠 火打金 カスガイ型 白木 吉井本家 Y00206 【ブッシュクラフト サバイバルキャンプ 火起こし 火お越し ファイヤースターター 火打ち金 火打鎌 火打ち鎌 焚き火 焚火 ヒロシちゃんねる MIXX】

火起こし・焚火・野営のMIXX

日本橋の金物問屋「伊勢公一商店」は、吉井本家の吉井町の中野屋と江戸時代より長年に渡り取引をしていた。明治30年頃、最後まで残った中野屋も火打ち金の生産を終え、富岡に移り、「鍛冶政」を開店し野鍛冶に転向した。それ以来、「伊勢公一商店(伊勢屋)」は商標権・販売権を譲渡され自らが「吉井本家」の商標で生産販売に乗り出し今でも生産を続けている。現在は4代目の牧内和正氏が、墨田区で、一人で事業を継承している。・商品説明 【重要必読】商品に関する詳細な注意事項はこちら 江戸時代は火打金職人が手造りで一つひとつ「鍛造」、「焼き入れ」てつくっていましたが、今は火打金職人はいないためプレスで切り抜き加工をしています。下の写真は伊勢公一商店の焼き入れ用の炉です。 ・詳細画像 / スペック ◆サイズ◆約12×4×1.5cm(木の部分)※金の部分は約1×7.5cm 江戸時代の一般庶民の家庭では、火打金を火起こしの道具として使う方法と「切り火」として使う方法がありました。 切り火 「おまえさん、気をつけて行ってらっしゃい。」 銭形平次などの時代劇の台詞にもあるように、火には「厄除け」やお清めの力があるという民族信仰があり、火花を相手に向けてあげることで邪を払うとされています。古来からの慣習を重んじる歌舞伎や相撲の世界では、現在でも切り火を行い勝負前のお清めや無事安泰を祈ってます。 切り火の方法は火起こしとは逆の持ち方になり、利き手に火打石を、もう一方の手に火打金を持ち、相手の肩あたりに火花を落してあげます。 「登録商標吉井本家請合」は現在伊勢公一商店が作っているもので、中野家で代々使われてきた焼印が見られます。下は経年変化加工をしたものです。別の商品ページでお買い求めできます。 5代目中野屋孫三郎兼重が亡くなった後は、その妻「わき」が後を継ぎました。 わきがつくった火打金には「女作」がつき、長男で7代目「孫三郎」 が手伝ったものには「一」がつき「吉井本家・女作一」になったと考えられており、「一」はたった一人の長男「孫三郎」を指すのではないかと推測されています。 火打金の出現 今から約2000年前の弥生時代に大陸から鉄の製品が伝わってきました。 発掘出土資料から、火打金の使用は古墳時代後期(7世紀頃)に発見されています。 群馬県高崎市吉井町で火打金が確実に使用され始めたのは、平安時代(9世紀)に入ってからです。 江戸時代以降の火打金 江戸時代に入ると、機能別に火打金の種類が増加します。一つはカスガイ形と呼ばれ、木板に鉄の突出した部分を打ちつけた火打金です。 これは蒸し炭(消し炭)の入る火打箱に入れ一般家庭で使用されました。上の写真は「あかりの資料館」の実物です。 他に短冊形と呼ばれる柄の付かない火打金が出現し、用途に応じて大中小があります。 また山型には三角の裾部を細くねじり上げ頂部で結んだネジリ形と呼ばれるタイプが新たに出現します。 短冊形やネジリ形は2〜3cmの小型品が多く、旅人の携帯用火打金として使用されていました。 下の写真は200年前の吉井本家のカスガイ型火打鎌のレプリカモデル。こちらも販売しております。鍛造での一点一点の手造り品となります。火打金には鏨(たがね)で「本吉井」の文字が刻まれています。 江戸時代の火打金にはカスガイの柄部に焼印や鋼部に鏨銘(たがねめい)を入れたものが多く、生産地を特定できます。 中でも「上州吉井」の銘が圧倒的に多く、吉井町が火打金の特産地であったことが確認できます。 吉井宿と火打金 吉井町の中央を東西に走行する国道254号線は別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、江戸時代には埼玉県本庄から中仙道と分かれる脇往還(わきおうかん=裏街道) として栄えました。 取締りの厳しい中仙道の碓氷峠の関所を避け信州へ向かう旅人や商人、善光寺詣りに行く一般の人々に多く利用されました。 姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中土産として「火打金」を買い求めました。吉井宿の火打金は『西の明珍(京都)、東の吉井』と江戸で評判となり、吉井宿は全国にその名を誇っていました。 下の写真は「あかりの資料館」にある明珍(京都)のカスガイ型火打金です。 なお吉井の火打金は、江戸時代初頭に武田信玄の配下の子孫「近江守助直」という刀鍛冶人が火打鎌を作ったことが始まりだと言われています。その流れを受け継ぐものが町内に多くうまれ、福島家、岡田家、横田家以外にも火打金職人や鍛冶職人、鍬柄職人らが数十人いたことがわかっています。 特に中野屋一族の製品はブランド品で、全国各地で人気を博しました。 中野屋一族の火打金の鋼には「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作一」などと刻まれ、木柄の部分に 「吉井本家請合」などの焼印をする特徴がありました。しかし明治時代に入るとマッチの国産化により火打金の消費が落ち込み、明治30年頃を境に製造が中止されました。 サバイバルキャンプやソロキャンパーの間で火打金による火起こしが増えています。 しかし現在は「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法が主流で、LIGHT MY FIREのファイヤースターターキットなど海外仕様の火打金が使われています。 西洋の火打石となるものはマグネシウムでつくられており、ナイフでマグネシウムを打撃することでマグネシウムから大量の火花を飛ばします。 野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。 日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法とは全く逆になります。 そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。  火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。 火口はどんな 植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があり、蒲(ガマ)の穂やコケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口はつくられていました。 火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。小便の結晶には硝酸カリウムが含まれているため、江戸時代には厠の壁に張り付いた小便の結晶と墨汁を混ぜて火口をつくっていました。 火種から炎へ 火打金が使用されていた時代は、火種を炎に変えるために『 付け木(つけぎ)』を使用していました。 付け木とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると青い炎が燃え出します。江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。 ■眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。 火打金から飛んだ火花が顔に当たることはよくあり、目に入った場合には失明の可能性もあります。 ■手袋 火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。 ■服装 火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。 ■対象年齢 18歳以上となります。それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。 ・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら)

2位

¥2,970 円

評価: 5

野宿の匠 火打金 3.5号(1枚入) 吉井本家 丹尺型 Y00203【スポーツ アウトドア 火起こし ファイヤースターター 火打石 中野屋 ソロキャンプ ヒロシちゃんねる キャンプスミス CAMP SMITH】MIXX

火起こし・焚火・野営のMIXX

日本橋の金物問屋「伊勢公一商店」は、吉井本家の吉井町の中野屋と江戸時代より長年に渡り取引をしていた。明治30年頃、最後まで残った中野屋も火打ち金の生産を終え、富岡に移り、「鍛冶政」を開店し野鍛冶に転向した。それ以来、「伊勢公一商店(伊勢屋)」は商標権・販売権を譲渡され自らが「吉井本家」の商標で生産販売に乗り出し今でも生産を続けている。現在は4代目の牧内和正氏が、墨田区で、一人で事業を継承している。江戸時代は火打金職人が手造りで一つひとつ「たたき・鍛造」、「焼き入れ」てつくっていましたが、今は野鍛治の職人はいても火打金職人はいないためプレスで切り抜き加工をしています。しかし原料となる鉄だけは、今でも「たたら製鉄方」で製鉄されています。 下の写真は伊勢公一商店の焼き入れ釜です。 ・詳細画像 / スペック ◆セット内容◆ ・吉井本家の火打金3.5号×1枚入り ※火打金は着火の打撃テストを何回も行っていますので、はじめから傷が付いています。 現在は5種類の大きさの丹尺型(短冊型)の火打金が製造されています。 鉄の削れる面積が大きいほど火口に種火が付きやすいため、火打金は大きいほど使いやすく、小さいほど着火の難易度があがります。 火打金の出現 今から約2000年前の弥生時代に大陸から鉄の製品が伝わってきました。発掘出土資料から、火打金の使用は古墳時代後期(7世紀頃)に発見さています。 群馬県高崎市吉井町で火打金が確実に使用され始めたのは、平安時代(9世紀)に入ってからです。 形は横長三角形の山型です。   江戸時代以降の火打金 江戸時代に入ると、機能別に火打金の種類が増加します。一つはカスガイ形と呼ばれるタイプのもので、木板に鉄の突出した部分を打ちつけた火打金です。 これは蒸し炭(消し炭)の入る火打箱と一緒に一般家庭で使用されました。上の写真は「あかりの資料館」の実物です。 他に短冊形と呼ばれる柄の付かない火打金が出現しました。これは用途に応じて大中小の種類があります。 また前代からある山型には、三角の裾部を細くねじり上げて頂部で結んだネジリ形と呼ばれるタイプが新たに出現します。 短冊形やネジリ形は2〜3cmの小型品が多く、 道中の旅人が持ち歩く際の携帯用火打金として使用されていました。 下の写真は、150年前の吉井本家のネジリ型火打金で、僕のコレクションです。火打金には鏨(たがね)で「本吉井」の文字が刻まれています。 江戸時代の火打金にはカスガイの柄部に焼印や鋼部に鏨銘(たがねめい)を入れたものが多く、これから生産地を特定できます。 中でも「上州吉井」の銘が圧倒的に多く、群馬県高崎市吉井町が火打金の特産地であったことが確認できます。 吉井宿と火打金 吉井町の中央を東西に走行する国道254号線は別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、江戸時代には埼玉県本庄から中仙道と分かれる脇往還(わきおうかん=裏街道) として栄えました。 取締りの厳しい中仙道の碓氷峠の関所を避け信州へ向かう旅人や商人、善光寺詣りに行く一般の人々に多く利用されました。 姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中土産として「火打金」を買い求めました。火打金が特産物として有名になった吉井宿は、『西の明珍(京都)、東の吉井』と呼ばれるほど江戸で評判となり、吉井宿は市場として賑わいをみせ全国にその名を誇っていました。 下の写真は「あかりの資料館」にある明珍(京都)のカスガイ型火打金です。 なお吉井の火打金の始まりは、江戸時代初頭に武田信玄の配下の子孫「近江守助直」という刀鍛冶人が火打鎌を作ったことだと言われてい ます。 その流れを受け継ぐものが町内に多くうまれました。福島家、岡田家、横田家以外にも火打金職人や鍛冶職人、鍬柄職人らが数十人いたことがわかっています。 特に中野屋一族の製品はブランド品で、全国各地で人気を博しました。 中野屋一族の火打金の鋼には「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作一」などと刻まれ、木柄の部分に 「吉井本家請合」などの焼印をする特徴がありました。 しかし明治時代に入るとマッチの国産化により火打金の消費が落ち込み、明治30年頃を境に製造が中止されました。 キャンプ愛好家、とりわけサバイバルキャンプやソロキャンパーの間で火打金による火起こしが増えています。 しかし現在は「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法が主流で、ナイフでマグネシウムを打撃することでマグネシウムから大量の火花を飛ばします。 野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。 日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法とは全く逆になります。 そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。  火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。 焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になります。オキを蓋付きの容器に入れ酸素不足の状態をつくると炭素の状態になり、これが蒸し炭です。 火口はどんな植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため、火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があります。 火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口をつく っていました。これらを火口として使用できる状態にするには、ひと工夫必要です。 これは蒲の穂の写真で、ガマは湿地帯に生える植物です。火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。また火口が湿っていると火種が出来ないため、乾燥に 大変気を使う必要があります。 硝酸カリウムは爆薬の原料となるため、現在は薬局で購入することはできません。 火種から炎へ 火打金が使用されていた時代は、火種を炎に変えるために『 付け木(つけぎ)』と呼ばれるものを使用していました。 付け木(つけぎ)とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると青い炎が燃え出します。江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。 下の写真は「あかりの資料館」にある昭和初期に実際に使われていた付け木です。 ■眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。普段眼鏡をかけない方は、100円均一ショップなどで販売されているサングラスや花粉対策用の眼鏡などを着用してください。 ■手袋 火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。 ■服装 火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。 ■対象年齢 18歳以上となります。それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。 ・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら) この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが開発したオリジナル商品です。 /td>

3位

¥4,400 円

評価: 5

野宿の匠 火打金 4号(1枚入) 吉井本家 丹尺型 Y00204 | ブッシュクラフト サバイバルキャンプ 火起こし 火お越し ファイヤースターター 火打ち金 火打鎌 火打ち鎌 焚き火 焚火 ヒロシちゃんねる MIXX

火起こし・焚火・野営のMIXX

日本橋の金物問屋「伊勢公一商店」は、吉井本家の吉井町の中野屋と江戸時代より長年に渡り取引をしていた。明治30年頃、最後まで残った中野屋も火打ち金の生産を終え、富岡に移り、「鍛冶政」を開店し野鍛冶に転向した。それ以来、「伊勢公一商店(伊勢屋)」は商標権・販売権を譲渡され自らが「吉井本家」の商標で生産販売に乗り出し今でも生産を続けている。現在は4代目の牧内和正氏が、墨田区で、一人で事業を継承している。江戸時代は火打金職人が手造りで一つひとつ「たたき・鍛造」、「焼き入れ」てつくっていましたが、今は野鍛治の職人はいても火打金職人はいないためプレスで切り抜き加工をしています。しかし原料となる鉄だけは、炭素鋼の鋼ではなく軟鉄の浸炭で焼入れで製鉄されています。 下の写真は伊勢公一商店の焼き入れ用の炉です。 ・詳細画像 / スペック ◆セット内容◆ ・吉井本家の火打金4号×1枚入り ※火打金は着火の打撃テストを何回も行っていますので、はじめから傷が付いています。 現在は5種類の大きさの丹尺型(短冊型)の火打金が製造されています。 鉄の削れる面積が大きいほど火口に種火が付きやすいため、火打金は大きいほど使いやすく、小さいほど着火の難易度があがります。 火打金の出現 今から約2000年前の弥生時代に大陸から鉄の製品が伝わってきました。発掘出土資料から、火打金の使用は古墳時代後期(7世紀頃)に発見さています。 群馬県高崎市吉井町で火打金が確実に使用され始めたのは、平安時代(9世紀)に入ってからです。 形は横長三角形の山型です。   江戸時代以降の火打金 江戸時代に入ると、機能別に火打金の種類が増加します。一つはカスガイ形と呼ばれるタイプのもので、木板に鉄の突出した部分を打ちつけた火打金です。 これは蒸し炭(消し炭)の入る火打箱と一緒に一般家庭で使用されました。上の写真は「あかりの資料館」の実物です。 他に短冊形と呼ばれる柄の付かない火打金が出現しました。これは用途に応じて大中小の種類があります。 また前代からある山型には、三角の裾部を細くねじり上げて頂部で結んだネジリ形と呼ばれるタイプが新たに出現します。 短冊形やネジリ形は2〜3cmの小型品が多く、 道中の旅人が持ち歩く際の携帯用火打金として使用されていました。 下の写真は、150年前の吉井本家のネジリ型火打金で、僕のコレクションです。火打金には鏨(たがね)で「本吉井」の文字が刻まれています。 江戸時代の火打金にはカスガイの柄部に焼印や鋼部に鏨銘(たがねめい)を入れたものが多く、これから生産地を特定できます。 中でも「上州吉井」の銘が圧倒的に多く、群馬県高崎市吉井町が火打金の特産地であったことが確認できます。 吉井宿と火打金 吉井町の中央を東西に走行する国道254号線は別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、江戸時代には埼玉県本庄から中仙道と分かれる脇往還(わきおうかん=裏街道) として栄えました。 取締りの厳しい中仙道の碓氷峠の関所を避け信州へ向かう旅人や商人、善光寺詣りに行く一般の人々に多く利用されました。 姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中土産として「火打金」を買い求めました。火打金が特産物として有名になった吉井宿は、『西の明珍(京都)、東の吉井』と呼ばれるほど江戸で評判となり、吉井宿は市場として賑わいをみせ全国にその名を誇っていました。 下の写真は「あかりの資料館」にある明珍(京都)のカスガイ型火打金です。 なお吉井の火打金の始まりは、江戸時代初頭に武田信玄の配下の子孫「近江守助直」という刀鍛冶人が火打鎌を作ったことだと言われてい ます。 その流れを受け継ぐものが町内に多くうまれました。福島家、岡田家、横田家以外にも火打金職人や鍛冶職人、鍬柄職人らが数十人いたことがわかっています。 特に中野屋一族の製品はブランド品で、全国各地で人気を博しました。 中野屋一族の火打金の鋼には「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作一」などと刻まれ、木柄の部分に 「吉井本家請合」などの焼印をする特徴がありました。 しかし明治時代に入るとマッチの国産化により火打金の消費が落ち込み、明治30年頃を境に製造が中止されました。 キャンプ愛好家、とりわけサバイバルキャンプやソロキャンパーの間で火打金による火起こしが増えています。 しかし現在は「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法が主流で、ナイフでマグネシウムを打撃することでマグネシウムから大量の火花を飛ばします。 野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。 日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法とは全く逆になります。 そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。  火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。 焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になります。オキを蓋付きの容器に入れ酸素不足の状態をつくると炭素の状態になり、これが蒸し炭です。 火口はどんな植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため、火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があります。 火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口をつく っていました。これらを火口として使用できる状態にするには、ひと工夫必要です。 これは蒲の穂の写真で、ガマは湿地帯に生える植物です。火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。また火口が湿っていると火種が出来ないため、乾燥に 大変気を使う必要があります。 硝酸カリウムは爆薬の原料となるため、現在は薬局で購入することはできません。 火種から炎へ 火打金が使用されていた時代は、火種を炎に変えるために『 付け木(つけぎ)』と呼ばれるものを使用していました。 付け木(つけぎ)とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると青い炎が燃え出します。江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。 下の写真は「あかりの資料館」にある昭和初期に実際に使われていた付け木です。 ■眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。普段眼鏡をかけない方は、100円均一ショップなどで販売されているサングラスや花粉対策用の眼鏡などを着用してください。 ■手袋 火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。 ■服装 火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。 ■対象年齢 18歳以上となります。それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。 ・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら) この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが開発したオリジナル商品です。

4位

¥3,300 円

評価: 5

野宿の匠 火打金 2.5号(2枚入) 吉井本家 丹尺型 Y00201 | ブッシュクラフト サバイバルキャンプ 火起こし 火お越し ファイヤースターター 火打ち金 火打鎌 火打ち鎌 焚き火 焚火 ヒロシちゃんねる MIXX

火起こし・焚火・野営のMIXX

日本橋の金物問屋「伊勢公一商店」は、吉井本家の吉井町の中野屋と江戸時代より長年に渡り取引をしていた。明治30年頃、最後まで残った中野屋も火打ち金の生産を終え、富岡に移り、「鍛冶政」を開店し野鍛冶に転向した。それ以来、「伊勢公一商店(伊勢屋)」は商標権を特許庁に申請認可され(大正13年)「吉井本家」の商標で生産販売に乗り出し今でも生産を続けている。現在は4代目の牧内和正氏が、墨田区で、一人で事業を継承している。  ・商品説明 【重要必読】商品に関する詳細な注意事項はこちら 江戸時代は火打金職人が手造りで一つひとつ「鍛造」、「焼き入れ」てつくっていましたが、今は野鍛治の職人はいても火打金職人はいないためプレスで切り抜き加工をしています。しかし原料となる鉄だけは、今でも当時と同じ、軟鉄を浸炭して製鉄されています。 下の写真は伊勢公一商店の焼き入れ用の炉です。 ・詳細画像 / スペック ◆セット内容◆ ・吉井本家の火打金2.5号×2枚入り ※火打金は着火の打撃テストを何回も行っていますので、はじめから傷が付いています。 現在は5種類の大きさの丹尺型(短冊型)の火打金が製造されています。 鉄の削れる面積が大きいほど火口に種火が付きやすいため、火打金は大きいほど使いやすく、小さいほど着火の難易度があがります。 火打金の出現 今から約2000年前の弥生時代に大陸から鉄の製品が伝わってきました。発掘出土資料から、火打金の使用は古墳時代後期(7世紀頃)に発見さています。 群馬県高崎市吉井町で火打金が確実に使用され始めたのは、平安時代(9世紀)に入ってからです。 形は横長三角形の山型です。   江戸時代以降の火打金 江戸時代に入ると、機能別に火打金の種類が増加します。一つはカスガイ形と呼ばれるタイプのもので、木板に鉄の突出した部分を打ちつけた火打金です。 これは蒸し炭(消し炭)の入る火打箱と一緒に一般家庭で使用されました。上の写真は「あかりの資料館」の実物です。 他に短冊形と呼ばれる柄の付かない火打金が出現しました。これは用途に応じて大中小の種類があります。 また前代からある山型には、三角の裾部を細くねじり上げて頂部で結んだネジリ形と呼ばれるタイプが新たに出現します。 短冊形やネジリ形は2〜3cmの小型品が多く、 道中の旅人が持ち歩く際の携帯用火打金として使用されていました。 下の写真は、150年前の吉井本家のネジリ型火打金で、僕のコレクションです。火打金には鏨(たがね)で「本吉井」の文字が刻まれています。 江戸時代の火打金にはカスガイの柄部に焼印や鋼部に鏨銘(たがねめい)を入れたものが多く、これから生産地を特定できます。 中でも「上州吉井」の銘が圧倒的に多く、群馬県高崎市吉井町が火打金の特産地であったことが確認できます。 吉井宿と火打金 吉井町の中央を東西に走行する国道254号線は別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、江戸時代には埼玉県本庄から中仙道と分かれる脇往還(わきおうかん=裏街道) として栄えました。 取締りの厳しい中仙道の碓氷峠の関所を避け信州へ向かう旅人や商人、善光寺詣りに行く一般の人々に多く利用されました。 姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中土産として「火打金」を買い求めました。火打金が特産物として有名になった吉井宿は、『西の明珍(京都)、東の吉井』と呼ばれるほど江戸で評判となり、吉井宿は市場として賑わいをみせ全国にその名を誇っていました。 下の写真は「あかりの資料館」にある明珍(京都)のカスガイ型火打金です。 なお吉井の火打金の始まりは、江戸時代初頭に武田信玄の配下の子孫「近江守助直」という刀鍛冶人が火打鎌を作ったことだと言われてい ます。 その流れを受け継ぐものが町内に多くうまれました。福島家、岡田家、横田家以外にも火打金職人や鍛冶職人、鍬柄職人らが数十人いたことがわかっています。 特に中野屋一族の製品はブランド品で、全国各地で人気を博しました。 中野屋一族の火打金の鋼には「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作一」などと刻まれ、木柄の部分に 「吉井本家請合」などの焼印をする特徴がありました。 しかし明治時代に入るとマッチの国産化により火打金の消費が落ち込み、明治30年頃を境に製造が中止されました。 キャンプ愛好家、とりわけサバイバルキャンプやソロキャンパーの間で火打金による火起こしが増えています。 しかし現在は「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法が主流で、ナイフでマグネシウムを打撃することでマグネシウムから大量の火花を飛ばします。 野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。 日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法とは全く逆になります。 そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。 火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。 焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になります。 オキを蓋付きの容器に入れ酸素不足の状態をつくると炭素の状態になり、これが蒸し炭です。 火口はどんな植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため、火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があります。 火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口をつく っていました。これらを火口として使用できる状態にするには、ひと工夫必要です。 これは蒲の穂の写真で、ガマは湿地帯に生える植物です。火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。また火口が湿っていると火種が出来ないため、乾燥に 大変気を使う必要があります。 硝酸カリウムは爆薬の原料となるため、現在は薬局で購入することはできません。 火種から炎へ 火打金が使用されていた時代は、火種を炎に変えるために『 付け木(つけぎ)』と呼ばれるものを使用していました。 付け木(つけぎ)とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると青い炎が燃え出します。江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。 下の写真は「あかりの資料館」にある昭和初期に実際に使われていた付け木です。 ■眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。普段眼鏡をかけない方は、100円均一ショップなどで販売されているサングラスや花粉対策用の眼鏡などを着用してください。 ■手袋 火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。 ■服装 火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。 ■対象年齢 18歳以上となります。それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。 ・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら) この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが開発したオリジナル商品です。

5位

¥242,000 円

評価: 0

高岡銅器 大日如来像(未入魂) 銅製 作者:村田宏 Takaoka douki dainichi nyoraizou copper Murata Hiroshi

こだわりの和雑貨 和敬静寂

バイヤーのオススメコメント 高岡銅器の歴史は、1609年、加賀藩主の前田利長が高岡城へ入城したことから始まります。利長が高岡の町を開いた際、町の繁栄を図るために、1611年に礪波郡西部金屋村(現・高岡市戸出西金屋)から、金森弥右衛門ほか7人の鋳造師を現在の高岡市金屋町に呼び寄せ、そこから技術が浸透し、鋳物の町と呼ばれるに至ります。こちらは古くから仏具の製造で知られる、富山県高岡市の大日如来像(だいにちにょらいぞう)です。大日とは「大いなる日輪」という意味で、太陽を遙かに上回る光ですべてを照らすことを意味します。密教では大日如来は宇宙の心理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。 村田宏プロフィール 昭和27年 高岡市金属技術指導所入所 43年4月退所まで銅器業界に鋳物技術デザインの指導にあたる 昭和32年 第13回日展初入選 以来6回入選 昭和39年 41年現代工芸展入選 昭和43年 富山県職業訓練指導員免許取得 昭和58年 高岡地域地場産業センター内 御山車金具製作 仕様 本体:幅14×奥14×高23.5(cm)・2755g 木箱:17×18×27.7(cm) 作者:村田宏 材質:銅 ラッピングをご希望のお客様は、ラッピング用品も同時にお買い求めください。この商品は、以下のラッピングが可能です。  ◎和紙包装紙 50円

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野宿の匠 火打石 チャート 角岩 中 Y00221 | ブッシュクラフト サバイバルキャンプ 火起こし 火お越し ファイヤースターター 火打ち石 パワーストーン めのう 石器 矢じり 縄文 堆積岩 MIXX

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火打石となる条件 鉱石の硬さの基準値を作った、地学者モース。ダイアモンドが10となっていて基準値になっています。<BR>1.モース硬度6.5以上の鉱石2.SiO2(二酸化ケイ素・ガラス質・シリカ・シリコン)の含有率の高いもの。この2つの条件が揃うと火打ち石になります。堆積岩が殆どを占めます。火成岩、花崗岩に見ることはありません。7000万年以上前の地層が露出している場所で採取可能です。秩父古生層・足尾古生層など・商品説明 【重要必読】商品に関する詳細な注意事項はこちら チャート(Chert)とは 二酸化ケイ素(SiO2、石英)の成分を持つ放散虫や海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石で、堆積岩の一種です。断面をルーペで見ると、放散虫の殻(コノトンド)が点状に見えるものもあります。 日本で初めてこの事実が発見されたのは1958年(昭和33年)のこと。大間々町(現在の群馬県みどり市)の林信悟先生によって、コノドント化石が発見されました。 最初は動物の歯だったり器官の一部と言われていたコノドントでしたが、その後も研究が進み、今ではコノドントはコノドント動物の一部だと言われています。 コノドント動物は、約6億年前から1億8千万年前の海にいた10cmくらいの生き物です。コノドントはその生き物の一部で、飲み込んだ海水から餌(えさ)となるプランクトンなどをこし取る役目をしていたということです。また、コノドント動物は人間などの脊椎動物(せきついどうぶつ)の直系の祖先ではないかとも言われています。-参考文献:みどり市 大間々博物館資料- 下の写真は群馬県みどり市大間々町にあるコノドント博物館です。ここで実際の微生物を見ることができます。 コノトンドの発見により、変成岩に分類されていたチャートが実は堆積岩であることが判明しました。 ・詳細画像 / スペック 野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。 日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、『火打金でマグネシウムを削る』西洋の着火方法とは全く逆になります。 そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。 ◆火打石の選び方◆ 火打石はいわゆるフリント(火打石)でなければ火花が出ないと思われていますが、 火打金に打撃を加えたとき鉄鋼の粒子を削ぎ取れる程度の硬度(6.5-7)の石であれば火打石になります。 特に火花の出る石としては、以下となります。 ・石英 ・瑪瑙(めのう) ・水晶 ・サヌカイト ・チャートなどなど これらの硬い石を用いても石が丸いと打撃しても鉄が削れないため、ある程度大き目の角ばった荒々しい 石が適しています。 一方、火山岩系の砂岩や安山岩などは軟らかく丸いため火打石には適していません。 また特殊な場所にしかない瑪瑙(めのう)や水晶、黒曜石以外の火打石は、古生層から流れ下る河川敷で拾うことが出来ます。 (出典:吉井郷土資料館「吉井本家の火打金 -上州吉井宿の特産品-」) チャートは渡良瀬川で採取することができますが、渓谷が深くかなりの危険を伴います。最低限の装備として、岩登り用の確保機とロープやハーネスが必要です。 ロッククライミングの経験者以外は、危険ですのでお止めください。 川の水により石の角が取れて丸くなっているため改めて金槌で割らなければなりませんが、とても硬いのでハンマーでは簡単に割ることはできません。 写真のように角を残した状態に割るのはとても難しいのです。  火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。 焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になります。 オキを蓋付きの容器に入れ酸素不足の状態をつくると炭素の状態になり、これが蒸し炭です。 火口はどんな 植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため、火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があります。 火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口をつく っていました。これらを火口として使用できる状態にするには、ひと工夫必要です。 これは蒲の穂の写真で、ガマは湿地帯に生える植物です。火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。また火口が湿っていると火種が出来ないため、乾燥に 大変気を使う必要があります。 硝酸カリウムは爆薬の原料となるため、薬局で購入することはできません。 朽木は蒸し炭にする前に十分に乾燥させる必要があります。 火種から炎へ 付け木(つけぎ)とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると 青い炎が燃え出します。江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。 下の写真は群馬県高崎市石原町「あかりの資料館」にある昭和初期に実際に使われていた附木です。     ※火のお取り扱いに関する注意事項※ 火花が移って着火したら、火口は必ず全て燃やし切ってください。 「一部しか燃えていないから」といって火の付いた部分を消して、残りを元の火口入れに戻して再利用することは絶対におやめください。完全に消えてない場合が多く、未使用の火口と混ぜると、それが火種となって再燃焼することがあります。 着火した火口は必ず燃やし切り、水を掛けて完全に消火したことを確認してから廃棄してください。 火口に着火しない場合は、火口が水分を吸収している可能性があります。 天日干しをして乾燥剤を入れて保管してください。 ■眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。普段眼鏡をかけない方は、100円均一ショップなどで販売されているサングラスや花粉対策用の眼鏡などを着用してください。 火打金から飛んだ火花が顔に当たることはよくあり、目に入った場合には失明の可能性もあります。 ■手袋 火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。 ■服装 火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。 ■対象年齢 18歳以上となります。それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。   ◆内容量◆約150g(3〜6個前後) ・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら) この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが開発したオリジナル商品です。 P,R=m 

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野宿の匠 火打石 瑪瑙 (メノウ) 極小 Y00213 | アゲート アーゲート ブッシュクラフト サバイバルキャンプ 火起こし 火お越し ファイヤースターター 火打ち石 パワーストーン めのう 石器 矢じり 縄文 堆積岩 MIXX

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火打石となる条件 鉱石の硬さの基準値を作った、地学者モース。ダイアモンドが10となっていて基準値になっています。<BR>1.モース硬度6.5以上の鉱石2.SiO2(二酸化ケイ素・ガラス質・シリカ・シリコン)の含有率の高いもの。この2つの条件が揃うと火打ち石になります。堆積岩が殆どを占めます。火成岩、花崗岩に見ることはありません。7000万年以上前の地層が露出している場所で採取可能です。秩父古生層・足尾古生層など・商品説明 【重要必読】商品に関する詳細な注意事項はこちら 瑪瑙(Agate、アゲート)とは 二酸化ケイ素 (SiO2) が結晶してできた鉱物で、微細な石英の結晶の集合体です。 瑪瑙が発見されたのがシチリア島にあるアカーテ(acate)という川のほとりだったことからアゲートと呼ばれるようになったと言われており、馬の脳に似いていることから「瑪瑙」という和名が付けられたと言われています。 瑪瑙は粉砕することで鋭利な割れ口が生じるため、太古の時代には世界中で石器の材料として使われていたようです。 また瑪瑙はたくさんの物質が結晶した鉱物であるため、人と人との結びつきを強め人間関係を良好にしてくれる効果があると言われています。 <瑪瑙の効果> ・結びつきの強化 ・リラックス効果 ・心身の調子を整える など   江戸時代の火打石 江戸時代の書物[『雲根志(うんこんし)』に「火打石に名産多し、国々諸山或は大河等にあり、色形一ならず」とあることからも、 日本各地で火打石が産出されていたことがわかっています。なかでも常陸国(茨城県)山方町(やまがたまち)の火打石は有名で、江戸へ かなりの量が流通していたことが各種文献や出土品から判明しています。※山方町の火打石は瑪瑙(めのう)だったようです。 『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』の中で火打石は「王交石(ひうちいし)」と記され、石質については「賢硬純白透明なり」と表現 されています。山形町の火打石は、昭和42年まで東京の火打金商店へ卸されていたといわれています。 群馬県内では「 下仁田町御場山(おんばやま)」が江戸時代の産出地として知られていました。※石材は玉髄(ぎょくずい)だったようです。 江戸時代の終わり頃に30日間の「火打石採掘願い」が御場山に出されましたが、脈が薄く流通する程の量がまかなえないため、 結局切り出されませんでした。 ※江戸時代にはこの石(瑪瑙 極小)よりも小さい石を使い着火させることが一般的だったようです。 ・詳細画像 / スペック 野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。 日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、『火打金でマグネシウムを削る』西洋の着火方法とは全く逆になります。 そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。 ※西洋の着火方法で火打石とされるものはマグネシウムでつくられているものが多いですが、マグネシウムは摩耗しやすいため比較的減りが早いようです。 ◆火打石の選び方◆ 火打石はいわゆるフリント(火打石)でなければ火花が出ないと思われていますが、 火打金に打撃を加えたとき鉄鋼の粒子を削ぎ取れる程度の硬度(6.5-7)の石であれば火打石になります。 特に火花の出る石としては、以下となります。 ・石英 ・瑪瑙(めのう) ・水晶 ・サヌカイト ・チャートなどなど これらの硬い石を用いても石が丸いと打撃しても鉄が削れないため、ある程度大き目の角ばった荒々しい 石が適しています。 一方、火山岩系の砂岩や安山岩などは軟らかく丸いため火打石には適していません。 また特殊な場所にしかない瑪瑙(めのう)や水晶、黒曜石以外の火打石は、古生層から流れ下る河川敷で拾うことが出来ます。 (出典:吉井郷土資料館「吉井本家の火打金 -上州吉井宿の特産品-」) 火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。 焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になります。 オキを蓋付きの容器に入れ酸素不足の状態をつくると炭素の状態になり、これが蒸し炭です。 火口はどんな植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため、火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があります。 火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口をつく っていました。これらを火口として使用できる状態にするには、ひと工夫必要です。 これは蒲の穂の写真で、ガマは湿地帯に生える植物です。火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。また火口が湿っていると火種が出来ないため、乾燥に大変気を使う必要があります。 硝酸カリウムは爆薬の原料となるため、薬局で購入することはできません。 朽木は蒸し炭にする前に十分に乾燥させる必要があります。 火種から炎へ 付け木(つけぎ)とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると 青い炎が燃え出します。江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。 下の写真は群馬県高崎市石原町「あかりの資料館」にある昭和初期に実際に使われていた付け木です。 ※火のお取り扱いに関する注意事項※ 火花が移って着火したら、火口は必ず全て燃やし切ってください。 「一部しか燃えていないから」といって火の付いた部分を消して、残りを元の火口入れに戻して再利用することは絶対におやめください。完全に消えてない場合が多く、未使用の火口と混ぜると、それが火種となって再燃焼することがあります。 着火した火口は必ず燃やし切り、水を掛けて完全に消火したことを確認してから廃棄してください。 火口に着火しない場合は、火口が水分を吸収している可能性があります。 天日干しをして乾燥剤を入れて保管してください。 ■眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。普段眼鏡をかけない方は、100円均一ショップなどで販売されているサングラスや花粉対策用の眼鏡などを着用してください。 火打金から飛んだ火花が顔に当たることはよくあり、目に入った場合には失明の可能性もあります。 ■手袋 火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。 ■服装 火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。 ■対象年齢 18歳以上となります。それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。   ◆内容量◆約180g(50〜70個前後、サイズ混合)※鉱物の特性上、ロットによって石の色味が異なりますので予めご了承ください。 ・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら) この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが開発したオリジナル商品です。 P,R=m 

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