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高城合戦ー二度にわたる合戦はどのように戦われたか◎鉱脈社

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高城合戦ー二度にわたる合戦はどのように戦われたか 木城町教育委員会編 四六判/並製/280ページ/本体価格2000円 はじめに 九州の戦国時代を彩る合戦として名高い「高城合戦」は、天正六年(一五七八)、宮崎県児湯郡木城町の中央部に流れる小丸川を舞台に、島津氏と大友氏により繰り広げられた壮絶な戦いとなり、「耳川合戦」ともいわれ広く知られています。その規模は、あの徳川家康と石田三成が一六〇〇年(慶長五年)に争った、関ヶ原の戦いを超えるものだといわれており、まさに「もう一つの関ヶ原」としての評価もできるストーリーを含む合戦であります。 さらに、この島津氏と大友氏との合戦から九年後の天正十五年(一五八七)、高城の地は再び「天下分け目」の戦の舞台になります。大友氏との戦いに勝利した島津氏は、その勢いを一気に九州全体にまで広げることになります。しかし、そのことは、全国統一を目前にした豊臣秀吉との衝突を招きます。九州に遠征した豊臣軍の秀長軍と島津軍が、この地で対峙、高城から少し離れた根白坂において壮絶な戦いを繰り広げました。豊臣軍の壮大な軍事力に島津氏は豊臣秀吉に降伏を申し入れ、九州の戦国時代に終止符がうたれました。 天正六年と十五年のこの二度にわたる戦いを高城合戦といいます。 この二度にわたる「天下分け目」の合戦の舞台となる木城町を含む宮崎県内は、中世期には日向国として伊東氏が全体を広く支配し、その体制は城を配して行われ、「日向四十八城」として現在も県内にその形を残しながら、静寂な中に歴史的な景観を残し、地域を彩る形で親しまれています。 本県は神話や古墳がどちらかといえば広く知られていますが、実はこういった城館跡も多く、その姿が今でも見られ、それらの景観は、「城=天守閣」のイメージを大きく変える大切な文化財であります。その中で高城合戦の舞台の山城である「高城」は、現在は城山公園として地元住民に広く親しまれて、今日に至っています。 本書は、3部構成となり、第1部が平成二十年に鉱脈社から刊行された、故山内正徳氏著の『高城戦記』を採録しています。同書には、二度にわたり繰り広げられた、高城合戦の詳細な概要について紹介されています。 故山内正徳氏は、本町で生まれ、高校教員を退職後、この高城合戦を主に同町の郷土史、文化財を丹念に研究され、多大な業績を残された郷土史家であります。本町の文化財保護委員も永年務められました。常に現場に足を運び、些細な疑問点にも真摯に丁寧に調査を続けられました。その姿勢はまさに研究者そのものであり、山内氏の残された功績を次世代に継承していく思いが本書の刊行につながる一つの契機となりました。 第2部は平成二十九年十月二十八日?に木城町総合交流センターリバリスホールにて「未来へ残す文化遺産 高城をどう生かすか」のサブテーマで開催された「高城合戦シンポジウム」の記録を軸とした内容となっています。三木靖(鹿児島国際大学名誉教授)、千田嘉博(奈良大学文学部教授)両氏の講演、そしてパネルディスカッションでは、北郷泰道(元宮崎県埋蔵文化財センター所長)をコーディネーターとし、先の二氏に加え、原朋輝(木城史談クラブ代表)、そして白岩修(木城町教育委員会)の計四名をパネラーとして、時間の許す限り議論を展開した、有意義な内容となりました。その白熱した議論に三百名を超す参加者はあらためてこの合戦の背景や全国的意義を深く学び、好評のうちに終えることができました。 このシンポジウムにおいては、今回出版するにあたって、講演および発言内容に大幅な加筆・修正を行い、その趣旨を的確に伝えるものと考えています。 第3部「『高城合戦』の歴史散歩」は、町広報に連載された記事をまとめたものです。高城合戦に直接関連する史跡ばかりでなく、当時の歴史的背景の理解をと高城周辺の城や人物等についても紹介しています。なお、今回の収録にあたっては大幅に加筆・修正いたしました。 この高城合戦における調査研究は、まだスタートラインに立ったばかりであります。考古学としてのアプローチである発掘調査、文献資料や関連絵図の研究等、課題は多く残されています。その調査研究への新たなスタートを祈念するとともに、本書を通じて、当合戦の歴史的価値、宮崎県内ばかりでなく、九州から全国の戦国時代のイメージ等の理解の一助につながれば幸いです。 木城町教育委員会(白岩 修 記) グラビア 第1部 高城戦記 九州の関ヶ原はどのように戦われたか 山内正徳 第一章 新納院高城 一 高城の地 交通の要衝   「はる」の台地の山城 平城=政治の城 歴史を語る高城の町 第二章 要の地・高城―土持・伊東・島津の争奪戦 一 鎌倉時代から南北朝時代の高城 南北朝動乱と土持・伊東の争い 島津・伊東・土持=南北動乱後の日向 二 戦国時代の高城 伊東と土持 伊東の飫肥領有から日向制圧 第三章 島津の日向支配と大友の日向侵攻 一 伊東の豊後落ちと島津の高城入城 木崎原の合戦 伊東義祐の豊後落ち 高城城主・山田新介有信 二 大友宗麟、日向侵攻へ動く 豊後大友氏の状況 大友宗麟の第一次日向侵攻 土持弾正親成の五輪塔 経 塚 三 伊東旧臣の動向をにらみつつ大友軍出陣 伊東旧臣の動きと島津の新納院石城攻め(一次 大友軍の出陣 第二次石城攻めと義久 大友勢の進撃と伊東旧臣の謀議 大友勢さらに高城に陣を張る 第四章 高城の攻防と義久の佐土原着陣 一 高城の攻防 大友軍高城総攻撃 伊東旧臣の都於郡攻め 大友軍の高城攻めと陣内 二 義久、鹿児島出立、佐土原着陣 義久、鹿児島を発ち、日向に入る 義久佐土原に着陣 第五章 高城川(耳川)合戦 一 切原坂の野伏せ―合戦前夜 豊後と薩摩、双方陣を整える 切原坂の野伏せで豊後勢多数を討取る 島津軍の軍議と布陣 大友方合戦前日の軍議 二 高城川―耳川の合戦 高城川の決戦。初戦は大友軍優勢 血に染まるダケキガ淵 大友敗走、死屍累々と 掃 討 第六章 供養の心あつく 大施餓鬼法要 七回忌と宗麟原供養塔の建立 北郷蔵人供養墓と蔵人祭 第七章 島津の野望・秀吉の野望―第二次高城合戦(根白坂の戦い) 一 島津の北進と豊後攻め 島津の北進 島津軍、豊後に侵攻 大友宗麟、豊臣秀吉に援助を乞う 戸次川の戦い 93  戸次川合戦戦死者の板碑 二 秀吉、九州征討に動く 豊臣秀吉・秀長の九州侵攻 島津義弘・家久、豊後撤退    秀長軍、日向に入り、耳川を渡る 三 第二次高城合戦(根白坂の夜襲) 秀長軍、高城に布陣する 島津の高城の配備と馬場原の奇襲 根白坂の夜襲戦 四 秀吉の九州国割り 島津の降伏と講和 秀吉の九州国割り 【史料】川上左近将監久辰日記帳写 天正六年大友御合戦日記 結 び 第2部 「高城」と「高城合戦」  ―「高城合戦」シンポジウムの記録― その歴史的意義と未来への継承 基調講演1 三木 靖(鹿児島国際大学短期大学部名誉教授) 日本の城郭から見た高城合戦 第一次と第二次の高城合戦 「領国のため」―武将ばかりでなく、村を挙げて戦った 合戦が大規模化するなかで、二度も戦われた高城合戦 住民の城・武将の城 島津氏と大友氏―戦国大名のもうひとつのあり方 基調講演2 千田 嘉博(奈良大学文学部教授) 城と合戦の考古学―日本の城、世界の城、そして高城 戦いの考古学―はじめに 吉野ヶ里遺跡の北内郭の復元を考える 乱杭の問題 狭間の問題―人吉城と姫路城の復元を見る 堀と橋の問題―八王子城の復元 畝堀の方踏―山中城の復元 戦場の考古学 原城の戦いの遺跡 高城は合戦を全体としてみれる場所 パネルディスカッション 「高城」を読みとき「高城合戦」の歴史的意義を考える―保存と継承のために― パネラー/三木 靖 千田嘉博 原 朋輝 白岩 修 コーディネーター/北郷泰道 宮崎県内の城の研究―その歴史と現在 南九州の城と高城および陣 「城」の変遷―中世から近世へ 合戦の布陣図をみる 北郷蔵人の墓のこと・村人たちの高城合戦 第二次高城合戦 島津氏の負け方 “高城”をどのように保存し、語り継いでいくか 第3部 「高城」の歴史散歩―木城町内および宮崎県内関連史跡案内― 一 高城と平城 高城 平城 二 木城町内の関係史跡・文化財 北郷蔵人供養墓/高城在十一面観音坐像/根白坂の陣跡/第一次高城合戦の前哨戦の舞台「石城」/松山陣/宗麟原供養塔/諏訪谷の石碑/岩戸五輪塔 三 高城合戦に関する絵図について(口絵参照) 「高城合戦布陣図」について 「高城合戦陣構図」について 四 高城周辺および県内の城郭 高城と高鍋城/高城と都於郡城/高城と佐土原城/高城と飫肥城 五 高城合戦を彩る島津の武将たち 島津義久/島津義弘/島津家久/島津歳久/上井覚兼/伊集院忠棟  おわりに 九州の戦国時代のターニングポイントである、二度にわたる「高城合戦」について、本書では、その歴史的概要、そして、その舞台である「高城」の価値について三部構成で紹介いたしました。 全国で約五万カ所城館が存在するといわれていますが、開発行為や大型災害等の影響でその形状が大きく破壊されたり、若しくは存在そのものが消滅しているものも多くあります。 しかし、この高城は一部を除いて、関連史跡と共にその形状がほとんど今日まで保護されており、これらの本来の形をしっかり調査研究を実践し、次世代に向けて保存活用を図っていくことが、私たちに課せられた大きな責務といえましょう。その部分については、本書に記されている「高城合戦シンポジウム」のパネルディスカッションでも専門家の皆様のご指摘のとおりであります。 当シンポジウム開催から四年あまりが経過し、新型コロナウイルスの感染の影響は止まる様子は見られず、世界規模で社会全体は大きな変革期を迎えました。現代を生きる私たちの心の拠り所が見失われがちな昨今、なぜ、『城跡』を保存するのか。そしてこれからの未来に向けてこの史跡をどのように活用していくのか。 また、コーディネーターを務められ、今年七月に残念ながらご逝去された北郷泰道氏からは、「景観で合戦のストーリーを語れるのが高城および関連史跡の何よりの強みだ。これから調査が進み、それぞれの史跡のオリジナルな形が分かってくれば、まだまだ夢のある面白い発信ができるはず」との言葉をいただきました。これからの時代を見据えて、この高城に関する史跡に果たして何を語らせるか。今が真摯に議論を進めていく最高のタイミングだと考えています。 なお、本書をまとめるにあたって、鉱脈社の川口社長には大変お世話になりました。また、故山内正徳氏のご遺族からは『高城合戦』の採録にご快諾をいただきました。 今回の刊行を通じて、高城合戦の歴史的な価値、高城および関連史跡の保存活用のあり方等において一人でも多くの方の理解の一端につながればと思います。  令和四年二月 木城町教育委員会(白岩 修 記) 私たちがつくっています!   鉱脈社は1972年に誕生し、2022年に50周年を迎える、宮崎に根ざした出版社です。 「月刊情報タウンみやざき」などの情報誌のほか、単行本やシリーズ書籍の出版、自費出版のお手伝いを手がけています。 雑誌分野ではスタッフ一丸となって足で情報をかせぎ、書籍出版分野では著者様と力を合わせて納得のいく本づくりを心がけています。 私たちが愛情込めて作った本を、ぜひ手に取ってみてください。

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