| 順位 | 説明 |
|
1位
¥5,000 円
評価: 5
|
絵画と額縁のアートギャラリー前田
○ショップコメント現在入手困難な吉岡浩太郎版画の初期の作品を特別価格にてご提供!すべてシルクスクリーン版画作品です。現在の吉岡作品とはひと味違う懐かしさを感じる作品です。作品名花の丘作家名吉岡浩太郎○作品詳細作品の種類シルクスクリーン版画作品の詳細エディションAP作家所有ナンバー/作家サイン絵サイズ22.7X13.6センチ額縁サイズ40.0X31.0センチ額縁のタイプアルミ製デザインフレーム/アクリルガラス付/マット額装※ブラウンタイプ・ホワイトタイプの2タイプからお選びください。○吉岡浩太郎プロフィール1928年山口県に生まれる。 香月泰男に師事 1967年スクリーン版画の研究を始める 1973年絵画研修のため渡欧 1974年セントラル画廊でスクリーン版画個展 1989年絵画研修のため渡欧 1992年スクリーン版画個展 1996年日蓮宗 円頓寺壁画制作 1997年以降ピクチャーショーで新作を発表 各種カレンダー、雑誌の表紙に掲載 2001年東京絵画フェスティバル出品○吉岡浩太郎版画作品について◎吉岡浩太郎版画についてシルクスクリーンとジグレスクリーンの2種類の版画技法によって制作されています。 ・シルクスクリーン版画とは、絹の繊細な織布の上に製版し、熟達した高度な摺り技術により 一色ごとに丹念に摺りあげていく多色刷版画です。 ・ジグレスクリーン版画とは、デジタル技法による精密機器を利用したアートでコンピュータにより 色彩分析を行いプリントされています。さらに、耐光性を強まるためにシルクスクリーンによる 表面処理がされています。 ◎エディションとは、作品左下にある限定数をいいます。分母が刷り数で分子が通し番号です。 通し番号に価値の違いはありません。また、追加再販には、Sまたは’があります。 APナンバーは作家所有のエディションナンバーです。
|
|
2位
¥66,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:マナブ間部 ●作品名:ヨコハマ ●絵のサイズ:W25×H18cm ●額装サイズ:W46×H38cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:直筆鉛筆サイン ●納期:10日 マナブ間部さんがシルクスクリーンの版画で制作した抽象画の絵「ヨコハマ」は、1994年に制作されたシルクスクリーンの版画です。 このシルクスクリーンの版画の限定枚数は150部です。 緑の背景に、紫やブルー、赤、黒などインパクトの強い色で描かれた抽象画の絵です。 この抽象画の絵から横浜をイメージするのは難しいですが、ブラジルで育ったマナブ間部さんの目には、このように写ったのでしょう。 右横の真ん中と下部に薄い染みのように見える部分がありますが、これは緑の背景の下地がはみ出している箇所です。 シルクスクリーンの版画と言っても、マナブ間部さんの作品には凹凸があり立体感を感じます。 制作されてから25年以上経過していますが、シートの状態で保存されていたため染みや焼け、色落ち、波打ちなど一切ない完品です。 ブラジルのピカソと呼ばれた偉大な抽象画家の作品を、ぜひ日本の人々にコレクションしていただきたいです。 マナブ間部 プロフィール 1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。 1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。 リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。 1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。 1950年サンパウロ作家協会展に油絵の絵画が入選し徐々に注目を集める。 1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。 1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。 1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く「非具象構成派」とする絵画を描き続ける。 1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。 1959年4月、「レイネル賞展」において油絵の絵画によりレイネル賞を受賞する。 9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で油絵の絵画により国内最高賞を受賞する。 その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で油絵の絵画により受賞する。 この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に「マナブ間部黄金の年」として取り上げられ世界的な知名度を上げた。 このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。 1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で油絵の絵画によりフィアット賞を受賞する。 1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。 アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で油絵の絵画により絵画部門1位をとる。 1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。 マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。 1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。 1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。 2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。
|
|
3位
¥66,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:マナブ間部 ●作品名:都庁のある新宿 ●絵のサイズ:W18×H25cm ●額装サイズ:W38×H46cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:直筆鉛筆サイン ●納期:10日 マナブ間部さんがシルクスクリーンの版画で制作した抽象画の絵「都庁のある新宿」は、1994年に制作されたシルクスクリーンの版画です。 このシルクスクリーンの版画の限定枚数は150部です。 横浜、大阪、そしてこの東京を描いた3部作で構成されたシリーズ作品です。 マナブ間部さんらしい、奇抜でエネルギッシュな抽象画の絵です。 制作されてから25年以上経過していますが、シートの状態で保存されていたため染みや焼け、色落ち、波打ちなど一切ない完品です。 マナブ間部さんは熊本出身の画家さんで、地元でもとても人気があります。 しかし残念ながら日本のマーケットには、マナブ間部さんの油絵の絵画や版画の作品がほとんどありません。 ブラジルのピカソと呼ばれた偉大な抽象画家の作品を、ぜひ日本の人々にコレクションしていただきたいです。 マナブ間部 プロフィール 1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。 1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。 リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。 1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。 1950年サンパウロ作家協会展に油絵の絵画が入選し徐々に注目を集める。 1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。 1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。 1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く「非具象構成派」とする絵画を描き続ける。 1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。 1959年4月、「レイネル賞展」において油絵の絵画によりレイネル賞を受賞する。 9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で油絵の絵画により国内最高賞を受賞する。 その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で油絵の絵画により受賞する。 この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に「マナブ間部黄金の年」として取り上げられ世界的な知名度を上げた。 このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。 1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で油絵の絵画によりフィアット賞を受賞する。 1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。 アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で油絵の絵画により絵画部門1位をとる。 1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。 マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。 1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。 1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。 2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。
|
|
4位
¥66,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:マナブ間部 ●作品名:大阪 ●絵のサイズ:W18×H25cm ●額装サイズ:W38×H46cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:直筆鉛筆サイン ●納期:10日 マナブ間部さんがシルクスクリーンの版画で制作した抽象画の絵「大阪」は、1994年に制作されたシルクスクリーンの版画です。 このシルクスクリーンの版画の限定枚数は150部です。 大阪の何処を見て、この抽象画の絵を描いたのかは判りませんが、マナブ間部さんらしいシルクスクリーンの版画だと思います。 シルクスクリーンの版画と言っても、マナブ間部さんの作品には凹凸があり立体感を感じます。 制作されてから25年以上経過していますが、シートの状態で保存されていたため染みや焼け、色落ち、波打ちなど一切ない完品です。 マナブ間部さんは熊本出身の画家さんで、地元でもとても人気があります。 しかし残念ながら日本のマーケットには、マナブ間部さんの油絵の絵画や版画の作品がほとんどありません。 ブラジルのピカソと呼ばれた偉大な抽象画家の作品を、ぜひ日本の人々にコレクションしていただきたいです。 マナブ間部 プロフィール 1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。 1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。 リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。 1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。 1950年サンパウロ作家協会展に油絵の絵画が入選し徐々に注目を集める。 1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。 1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。 1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く「非具象構成派」とする絵画を描き続ける。 1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。 1959年4月、「レイネル賞展」において油絵の絵画によりレイネル賞を受賞する。 9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で油絵の絵画により国内最高賞を受賞する。 その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で油絵の絵画により受賞する。 この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に「マナブ間部黄金の年」として取り上げられ世界的な知名度を上げた。 このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。 1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で油絵の絵画によりフィアット賞を受賞する。 1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。 アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で油絵の絵画により絵画部門1位をとる。 1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。 マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。 1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。 1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。 2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。
|
|
5位
¥120,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:マナブ間部 ●作品名:緑風 ●絵のサイズ:W23,5×H15,4cm(SM) ●額装サイズ:W46×H38cm ●絵画の技法:油絵 ●サイン:作家直筆サイン ●納期:10日 マナブ間部さんが油絵の絵画で描いた抽象画「緑風」は、マナブ間部さんが亡くなられた1997年に描かれた油絵の絵画です。 緑と黒の色をメインに描かれた素敵な油絵の絵画です。 サムホールと呼ばれる小さなサイズの油絵の絵画ですが、ブラジルのピカソと呼ばれたマナブ間部さんの作品だけに存在感は際立っています。 描かれてから25年以上経過していますが、保存状態は完璧で染みや焼け、色落ち、波打ちなど一切ありません。 マナブ間部さんのコレクターやファンの方にぜひお奨めしたい油絵の絵画です。 マナブ間部 プロフィール 1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。 1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。 リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。 1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。 1950年サンパウロ作家協会展に油絵の絵画が入選し徐々に注目を集める。 1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。 1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。 1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く「非具象構成派」とする絵画を描き続ける。 1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。 1959年4月、「レイネル賞展」において油絵の絵画によりレイネル賞を受賞する。 9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で油絵の絵画により国内最高賞を受賞する。 その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で油絵の絵画により受賞する。 この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に「マナブ間部黄金の年」として取り上げられ世界的な知名度を上げた。 このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。 1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で油絵の絵画によりフィアット賞を受賞する。 1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。 アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で油絵の絵画により絵画部門1位をとる。 1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。 マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。 1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。 1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。 2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。
|
|
6位
¥150,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:マナブ間部 ●作品名:燿(よう) ●絵のサイズ:W40×H27cm ●額装サイズ:W65×H52cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:作家直筆鉛筆サイン ●納期:14日 額に小傷がありますので新品額に交換してお届けいたします。 マナブ間部さんがシルクスクリーンの版画で制作した抽象画「燿(よう)」は、1994年マナブ間部さんが70歳の時に制作されたシルクスクリーンの版画です。 このシルクスクリーンの版画のタイトルになっている「燿」という漢字には、「かがやく」、「火が高く燃えあがってかがやく」、「ひかり」、「高くかがやく火のひかり」、「高く目だってかがやくさま」などの意味があります。 まさにこの抽象画のシルクスクリーンの版画にぴったりな意味ばかりです。 今から20年以上前に制作されたシルクスクリーンの版画ですが、保存状態は完璧でシミや浪打ち、退色などは一切ありません。 赤い部分に白い線が入っていますが、これは傷ではなく作品の一部です。 「ブラジルのピカソ」と呼ばれるに相応しい、マナブ間部の素晴らしい抽象画のシルクスクリーンの版画です。 マナブ間部 プロフィール 1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。 1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。 リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。 1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。 1950年サンパウロ作家協会展に油絵の絵画が入選し徐々に注目を集める。 1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。 1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。 1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く「非具象構成派」とする絵画を描き続ける。 1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。 1959年4月、「レイネル賞展」において油絵の絵画によりレイネル賞を受賞する。 9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で油絵の絵画により国内最高賞を受賞する。 その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で油絵の絵画により受賞する。 この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に「マナブ間部黄金の年」として取り上げられ世界的な知名度を上げた。 このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。 1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で油絵の絵画によりフィアット賞を受賞する。 1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。 アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で油絵の絵画により絵画部門1位をとる。 1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。 マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。 1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。 1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。 2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。
|
|
7位
¥150,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:マナブ間部 ●作品名:征服 ●絵のサイズ:W53×H34cm ●額装サイズ:W68×H53cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:直筆鉛筆サイン ●納期:14日 額に小さな傷があるため新額と交換してお届けいたします。 マナブ間部さんがシルクスクリーンの版画で制作した抽象画「征服」は、1993年に制作されたシルクスクリーンの版画です。 このマナブ間部さんのシルクスクリーンの版画の限定枚数は100部です。 トゥ ショウコというサインが入っていますので、誰かへのプレゼントではなかったのかと考えられます。 このシルクスクリーンの版画の赤の部分は、実際には画面よりもっと濃ゆいです。 なるべく近づけるように努力して撮影していますが、残念ながら本物の迫力ある赤い色が出ませんでした。 マナブ間部さんはアートギャラリーモトカワと同じ熊本出身の画家さんで、地元でもとても人気があります。 しかし残念ながら日本のマーケットには、マナブ間部さんの油絵の絵画や版画の作品がほとんどありません。 マナブ間部さんのコレクターには、ぜひお奨めしたい抽象画のシルクスクリーンの版画です。 マナブ間部 プロフィール 1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。 1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。 リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。 1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。 1950年サンパウロ作家協会展に油絵の絵画が入選し徐々に注目を集める。 1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。 1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。 1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く「非具象構成派」とする絵画を描き続ける。 1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。 1959年4月、「レイネル賞展」において油絵の絵画によりレイネル賞を受賞する。 9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で油絵の絵画により国内最高賞を受賞する。 その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で油絵の絵画により受賞する。 この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に「マナブ間部黄金の年」として取り上げられ世界的な知名度を上げた。 このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。 1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で油絵の絵画によりフィアット賞を受賞する。 1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。 アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で油絵の絵画により絵画部門1位をとる。 1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。 マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。 1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。 1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。 2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。
|
|
8位
¥150,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:マナブ間部 ●作品名:夜の声 ●絵のサイズ:W40×H40cm ●額装サイズ:W64×H64cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:作家直筆鉛筆サイン ●納期:14日 マナブ間部さんがシルクスクリーンの版画で制作した抽象画「夜の声」は、1981年マナブ間部さんが57歳の時に制作されたシルクスクリーンの版画です。 このマナブ間部さんの抽象画のシルクスクリーンの版画の限定枚数は100部です。 マナブ間部さんらしい大胆な色彩感覚で描かれた抽象画のシルクスクリーンの版画です。 「ブラジルのピカソ」と評されるマナブ間部さんの全盛期に制作された作品です。 制作されて30年以上の月日が経過していますが、シミや焼けなど全くない完璧な保存状態です。 マナブ間部さんの油絵の絵画や版画作品の完品は、日本のマーケットには今、ほとんどありません。 マナブ間部さんのコレクターやファンの方には、ぜひお奨めしたい抽象画のシルクスクリーンの版画です。 マナブ間部 プロフィール 1924年熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)に生まれる。 1934年10歳の時、両親と共にブラジルへ移民する。 リンス市ビリグイのコーヒー農園で働きながら育つ。 1945年コーヒー園が霜の為全滅したこともあり仕事の合間に油絵具を使って厚紙や板きれに絵画を描き始める。 1950年サンパウロ作家協会展に油絵の絵画が入選し徐々に注目を集める。 1951年ブラジルの国展に油絵の絵画が入選する。 1953年画風が変わり、静物や人物をテーマにし、その物体の形をつよい線で描く画面構成となる。 1956年この年から約7年をかけて、マナブ間部曰く「非具象構成派」とする絵画を描き続ける。 1957年マナブ間部自らのコーヒー園を売却しサンパウロ市に移住する。 1959年4月、「レイネル賞展」において油絵の絵画によりレイネル賞を受賞する。 9月、第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で油絵の絵画により国内最高賞を受賞する。 その10日後には「第1回パリ青年ビエンナーレ展」で油絵の絵画により受賞する。 この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に「マナブ間部黄金の年」として取り上げられ世界的な知名度を上げた。 このことがきっかけでマナブ間部の絵も売れ始めた。 1960年「第30回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で油絵の絵画によりフィアット賞を受賞する。 1961年この年から1966年にかけて、ローマ、パリ、ワシントン、ヴェネツィア、ミラノの各都市を個展巡回する。 アルゼンチン・コルドバで開催された「南米ビエンナーレ」で油絵の絵画により絵画部門1位をとる。 1979年日本で開催されたマナブ間部展を終え100点余のマナブ間部の絵画作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難し、マナブ間部の代表作の大半を失う。 マナブ間部はその後14年かけて喪失した1点1点の油絵の絵画を描き直したという。 1993年日本経済新聞にマナブ間部『私の履歴書』を連載する。 1997年東京で開催された「マナブ間部展」を最期に内臓疾患手術後の合併症のため死去する。 2008年ブラジル移民100周年を記念して、サンパウロ市に「マナブ間部日伯近代美術館」が開館予定。
|
|
9位
¥150,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:小倉遊亀(おぐらゆき) ●作品名:盛られた花 ●絵のサイズ:W40,5×H34cm ●額装サイズ:W64×H58cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:刷り込みサインと落款 ●納期:7日 小倉遊亀(おぐらゆき)さんの和の花の絵「盛られた花」は、花瓶に生けられた椿の花を描いたシルクスクリーンの版画です。 限定枚数は200部で、本作品はEA版(作家保存版の意味)です。 43版43色の版で制作され、鳥の子和紙という用紙にプリントされました。 制作は「K・T・M」という工房です。 小倉遊亀さんらしい、しっとりとした落ち着きと品位のある素敵な和の椿の花の絵です。 和室や和のテイストの空間に飾ると、素晴らしい空間演出ができると思います。 ちなみに椿の花の花言葉は、「控えめな素晴らしさ」、「気取らない優美さ」などです。 小倉遊亀(おぐらゆき) プロフィール 1895年滋賀県に生まれる。 1913年県立大津高等女学校を卒業する。 奈良女子高等師範学校に入学する。 選択科目として図画を履修する。 水木要太郎と横山常太郎に日本画の絵画を学ぶ。 1920年教職生活のかたわら日本画の絵画の制作活動を続け、安田靫彦に入門を許される。 1922年日本美術院試作展に日本画の絵画が入選する。 1926年第13回院展に日本画の絵画「胡瓜」が初入選する。 > 以後日本画の絵画により連続入選を果たす。 1932年女性として初めて日本美術院同人となる。 1951年日本画の絵画「小女」により、第8回毎日美術賞を受賞する。 1954年日本画の絵画「O夫人坐像」により、第4回上村松園賞を受賞する。 1955年日本画の絵画「裸婦」により、芸術選奨文部大臣賞を受賞する。 1957年日本画の絵画「少女」により毎日美術賞を受賞する。 1962年日本画の絵画「母子」により日本芸術院賞を受賞する。 1973年勲三等瑞宝章を受賞する。 1975年神奈川文化賞を受賞する。 1976年日本芸術院会員となる。 1978年文化功労者となる。 1979年滋賀県文化賞を受賞する。 1980年文化勲章を受章する。 女流画家としては上村松園以来であり、女性として文化勲章を受けたのは三人目。 1981年「文化勲章受章記念・小倉遊亀展」を日本橋三越本店にて開催する。 大津市名誉市民となる。 1984年滋賀県立近代美術館が開館し、「開館記念小倉遊亀回顧展」が開催される。 1985年日本画の絵画「椿など」を制作する。 1987年日本画の絵画「春到」を制作する。 1990年奥村土牛のあとを継ぎ、日本美術院理事長に就任する。 「小倉遊亀展」を日本橋三越本店、大阪三越にて開催する。 1994年白寿を記念して天皇・皇后両陛下より銀杯一組と皇居の梅を下賜される。 1995年3月に満百歳をを迎える。 朝日新聞社主催「百歳記念・小倉遊亀展」を日本橋三越本店にて開催する。 1996年日本美術院名誉理事長に就任する。 1997年「百二歳の芸術・小倉遊亀展」を日本橋三越本店にて開催する。 鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」が開催される。 1999年パリ・エトワール三越にて海外初個展「小倉遊亀展」が開催される。 2000年7月23日逝去。享年105歳。従三位に叙せられる。 2001年滋賀県立近代美術館にて「小倉遊亀回顧展」が開催される。 2002年「小倉遊亀展」が東京国立近代美術館、滋賀県立近代美術館で開催される。(主催 東京近代美術館・滋賀県立近代美術館・朝日新聞社)
|
|
10位
¥180,000 円
評価: 0
|
アートギャラリーモトカワ
●画家名:ジョン・ボッツ ●作品名:花とレモン ●絵のサイズ:W66×H78cm ●額装サイズ:W94×H106cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:作家直筆鉛筆サイン ●納期:7日 ジョン・ボッツがシルクスクリーンの版画で制作したポップアートの花の絵「花とレモン」は、ジョン・ボッツらしい爽やかで涼し気な花の絵のポップアートです。 ジョン・ボッツのシルクスクリーンの版画の中でも、特に大きいサイズのポップアートの花の絵です。 背景に描かれたスカイブルーのストライプのラインが、涼し気な雰囲気をなおいっそう醸し出しています。 リビングの広い壁に飾っていただくと、とても存在感を感じるポップアートの花の絵だと思います。 ジョン・ボッツ プロフィール 1925年アメリカ・ニュージャージー州に生まれる。 1948年駐英アメリカ大使館の参事、アイマグニン社のスポーツウェアのバイヤーとして活躍の傍ら、絵画の勉強を続ける。 1978年南カリフォルニアのラグナビーチにジョン・ボッツギャラリーをオープンする。 1987年日本に初めてジョン・ボッツの絵画や版画が紹介される。 同時に世界のアートショーに絵画や版画が出品される。
|