順位 | 説明 |
11位
¥480,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
画家名:アンドレ・ブラジリエ 作品名:アイルランドの騎馬行列 絵のサイズ:W91×H64cm 額装サイズ:W116×H90cm 版画の技法:リトグラフ サイン:作家直筆鉛筆サイン 納期:10日 アンドレ・ブラジリエがリトグラフの版画で制作した馬の絵画「アイルランドの騎馬行列」は、1983年に制作された馬の絵のリトグラフの版画です。 レギュラーエディションは300部、ローマ数字バージョンが175部、その他に僅かな数のEA(作家保存版)とHC(非売品)がアルシュ紙という用紙に摺られました。 本作品は175部制作されたローマ数字のバージョンです。 この馬の絵画の正式なタイトルは「CAVALCADE IN LAUDAISE」です。 アンドレ・ブラジリエの馬の絵画の中でも、特に大きく美しいリトグラフの版画で非常に人気が高く代表作の一つに数えられます。 制作されてから40年以上経過していますが、シミや焼け、色落ち、波うちなど一切ない完璧な保存状態の馬の絵画です。 ちなみに額は新品です。 馬の絵画は古来より「何事もうまくいく」と言われ、大変縁起が良いとされています。 アンドレ・ブラジリエのコレクターやファンの方、縁起の良い絵をお探しの方に、ぜひお薦めしたい馬の絵画です。 アンドレ・ブラジリエ プロフィール 1929年フランス・アンジュー地方ソーミュールに生まれる。 1949年パリ国立美術学校に入学する。 1952年油絵の絵画によりフロレンス・ブリュメンタル賞を受賞する。 1953年油絵の絵画によりローマ賞絵画部門のグランプリを受賞する。 1959年ムルロー工房で最初のリトグラフの版画を制作する。 1961年青年画家展で油絵の絵画によりシャルル・モレ賞を受賞する。 1962年油絵の絵画によりシュールロット賞を受賞する。 1977年東山魁夷画伯が壁画制作中の唐招提寺(奈良)にアンドレ・ブラジリエを招待する。 1980年シュノンソー城に100点の油絵の絵画を集め初の展覧会を開催する。 1985年レイナルド・ハーン作、ピエール・ジュルダン演出、戯曲「ジブレット」のための舞台装置や衣装を制作する。 1987年フランス・プロバンス地方のヴァンスで15m×3mのモザイク画を制作する。 1988年南仏・アンティーブのピカソ美術館にて油絵の絵画の展覧会を開催する。 1989年金の木馬賞(アンジェ市名誉勲章)を受賞する。 2004年ドイツ・コンスタンツ湖畔、マイノー城にて油絵の絵画やリトグラフの版画の展覧会を開催する。 2005年ロシア・サントペテルブルク、エルミタージュ美術館にて油絵の絵画による大回顧展を開催する。
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12位
¥88,000 円
評価: 0
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やまとや画廊
商品の詳細 【作家略歴】 ジャン・ピエール・カシニョール(Jean Pierre Cassigneul) 1935年 パリ出身 1959年 サロン・ドートンヌの会員に推挙される 1978年 東京、三越ギャラリーにて大規模な個展を開催 1983年 「カシニョール画集」(ド・フランコニー社)発刊 エレガントな女性像を描く個性的な作風が人気を集めている作家。 ボリショイ・バレエ団の衣裳と舞台装置を手掛けるなど、 新しい分野にも精力的に取り組んでいる -------------------------------------------- ■作家:ジャン・ピエール・カシニョール(Jean Pierre Cassigneul) ■タイトル: 赤いアームチェア(The Red Armchairs) ■技法:リトグラフ 1986年制作 ■エディション番号:あり 限定250部 209/250 ■作品の状態:目立つキズや汚れなし ただし、額縁には経年による微細なキズあり 額付き 黄袋・箱付き 作家直筆サインあり ■サイズ:額外寸:ヨコ765xタテ580 (mm) ■作品サイズ:ヨコ480xタテ335 (mm) -------------------------------------------- ※ラッピング、熨斗を無料で承ります。 ※本作は真作(真筆または著作権者のみとめた複製)であることを保証します。万が一、真作ではないと証明されました場合返品を承ります。作品到着後10日以内にご連絡ください。ジャン・ピエール・カシニョール 「赤いアームチェア」 リトグラフ
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13位
¥280,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
画家名:ベルナール・カトラン 作品名:赤い背景の赤いベゴニア 絵のサイズ:W42,5×H62cm 額装サイズ:W70,5×H91cm 版画の技法:リトグラフ サイン:カトラン直筆鉛筆サイン 納期:14日 ベルナール・カトランがリトグラフの版画で制作した花の絵画「赤い背景の赤いベゴニア」は、1995年に制作された花の絵画です。 この花の絵画の正式なタイトルは「Red Begonias on Red Background」です。 アルシュ紙という中性紙に75部が刷られ、25部が和紙に刷られました。 その他にAP(作家保存版)が極わずかに刷られただけの、限定枚数が比較的少ないリトグラフの版画です。 画像では判りにくいですが、花瓶の部分などは何色もの色を重ねて仕上げられています。 この花の絵画のリトグラフの版画は制作されてから25年以上経過していますが、保存状態は完璧で染みや焼け、波打ち、色落ちなど一切ありません。 ちなみに額は新品です。 ベルナール・カトラン プロフィール 1919年パリに生まれる。 1945年パリの国立高等美術工芸高校に入る。 1950年油絵の絵画によりブリュメンタル賞を受賞する。 1957年この年からパリ、ニューヨークなどで油絵の絵画の個展を開催する。 また各種のグループ展に油絵の絵画を出品する。 1965年東京の吉井画廊で初の油絵の絵画の個展を開催する。 1972年モンテカルロのアンドレ・ソーレ社刊、ジルベール・セスブロン「犬と狼の間」のための挿絵として9枚のリトグラフの版画を制作する。 1973年ニューヨーク、東京をはじめ各地で油絵の絵画の個展を開く。 1976年母、マドレーヌ・カトラン・テライユの思い出のため、リトグラフの版画50部をヴァランスの美術館へ寄贈する。 1983年俳句に絵をつけた版画集<俳諧十選>が好評を博す。 1984年東京で「俳諧十選」による小品展を開催する。 1987年リトグラフのカタログレゾネの出版を記念して大阪、神戸、東京にてベルナール・カトラン出席のもと大規模なリトグラフの版画展が催される。 1990年東京と大阪で開催されたリトグラフ・タペストリー展のため滞在中に制作した6点のリトグラフィ・モニュメンタル(115×235cm)が、1991年5月シカゴで発表され話題となった。 1995年フランス大統領フランソワ・ミッテランよりレジオン・ドヌール勲章を授与される。 2004年4月17日、心臓疾患のためパリ市内の自宅にて逝去。84歳。
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14位
¥180,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
画家名:今井俊満 作品名:フェリックス・ガタリとの詩画 絵のサイズ:W74×H54cm 額装サイズ:W82×H62cm 版画の技法:リトグラフ サイン:作家直筆鉛筆サイン 納期:10日 今井俊満さんがリトグラフの版画で制作した現代アートの絵画「フェリックス・ガタリとの詩画」は、ブルーのラインがとても印象的な現代アートの絵画です。 このリトグラフの版画の限定番号はEA(作家保存版)です。 この現代アートの絵画のタイトルになっている「フェリックス・ガタリ」とは、フランスの著名な哲学者で精神分析家でもあります。 今井俊満さんらしいスタイリッシュで素敵な現代アートの絵画だと思います。 この現代アートの絵画は、制作されてから30年以上経過していますが、保存状態は完璧で、染みや焼け、波打ち、色落ちなど一切ありません。 今井俊満 プロフィール 1928年京都に生まれる。 1950年東京芸術大学美術学部油絵科で派遣学生として1年間学ぶ。 1951年春の関西新制作派協会展に油絵の絵画を出品する。 油絵の絵画により関西新制作派協会賞を受賞する。 1952年渡仏する。 1953年菅井汲、田淵安一、ヴァロールズと油絵の絵画の4人展を開催する。 1959年第1回パリ青年ビエンナーレに油絵の絵画を出品する。 1960年第30回ヴェネツィア・ビエンナーレに油絵の絵画を出品する。 1962年現代日本美術展で優秀賞を受賞する。 1963年「現代絵画の動向-西洋と日本」展に油絵の絵画を出品する。 1970年大阪万博の富士グループ館に壁画、生活産業館に鉄のオブジェを制作する。 1979年紺綬褒章を受章する。 1982年フランスのポンピドゥーセンターの招待で2年間同館の付属アトリエに居住して制作する。 1983年フランス文化勲章オフィシエを受章する。 1991年「今井俊満展」が開催される。(富山県立近代美術館) 1995年レジオン・ド・ヌール勲章のシュバリエを受章する。 1997年フランス芸術文化勲章コマンドールを受章する。 2002年逝去する。 2003年「大阪市立近代美術館コレクション展・絵画の冒険(アヴァンチュール)〜今井俊満と戦後美術の歩み」が開催される。(ATCミュージアム、大阪) 2008年文部大臣表彰を受ける。 作品収蔵 1955年大原美術館が油絵の絵画「馬」を収蔵する。 1958年滋賀県立近代美術館が油絵の絵画「東方の光」を収蔵する。 1961年兵庫県立近代美術館が油絵の絵画「騎士」を収蔵する。 1962年大原美術館が油絵の絵画「波の記録」を収蔵する。 1976年国立国際美術館が油絵の絵画「国立国際美術館」を収蔵する。 1983年国立国際美術館が油絵の絵画「春霞」を収蔵する。 1988年光ミュージアムが油絵の絵画「秋草図」を収蔵する。 1992年勝山城博物館が油絵の絵画「桜図」、「夏図」、「武蔵野図」、「竜田川図」、「冬図」を収蔵する。 新千歳空港に12メートルの壁画を制作する。 1994年東京国立近代美術館が油絵の絵画「波濤図(ヴェネツィア讃歌)」を収蔵する。
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15位
¥165,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
画家名:馬場檮男(ばばかしお) 作品名:新版世界一周競争双六 絵のサイズ:W85×H65cm 額装サイズ:W107×H89,5cm 版画の技法:リトグラフ サイン:作家直筆鉛筆サイン 納期:14日 額に小傷がありますので新品額に交換してお届けします。 馬場檮男(ばばかしお)さんがリトグラフの版画で制作したインテリアの絵画「新版世界一周競争双六」は、馬場檮男さんらしい奇想天外なリトグラフの版画です。 限定枚数は僅かに50部しかありません。 東京を振り出しに世界一周するという、今までに見たこともないリトグラフの版画です。 中国、インド、ロシア、パリ、スペイン、エジプト、アフリカ、オーストラリア、アメリカ、メキシコ、ブラジルなど見ているだけで楽しいインテリアの絵画です。 リトグラフの版画で世界一周の双六を作るなんて、たぶん馬場檮男さんしかやった人はいないのではないのでしょうか。 いつも楽しくユニークで驚かされる馬場檮男さんのインテリアの絵画です。 このリトグラフの版画は、制作されてから30年以上経過していますが、保存状態は完璧で染みや焼け、色落ち、波打ちなど一切ありません ただ額には僅かな小傷がありますので、新品額に交換してお届けいたします。 馬場檮男(ばばかしお) プロフィール 1927年東京に生まれる。 早稲田中学を卒業後、春陽会、日本版画協会会員として活躍する。 神奈川アンデパンダン展の創設に参画する。 油絵の絵画をはじめ、銅版画、木版画、リトグラフなど、様々な技法でサーカスや遊園地をモチーフにした独自の世界を描き続け、物語性あふれる馬場ワールドには沢山のコレクターやファンがいる。 1994年逝去
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16位
¥330,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
画家名:荻須高徳(おぎすたかのり) 作品名:バン・ドゥーシュ 絵のサイズ:W55cm×H45,8cm 額装サイズ:W84cm×H76cm 版画の技法:リトグラフ サイン:荻須高徳直筆鉛筆サイン 納期:14日 荻須高徳(おぎすたかのり)がリトグラフの版画で制作したパリの絵「バン・ドゥーシュ」は、1977年に制作されたリトグラフの版画です。 このリトグラフの版画の正式なタイトルは「BAINS DOUCHES」です。 フランス語で公衆浴場ぐらいの意味です。 このリトグラフの版画は8色刷りで、制作はパリのグラフォリット工房です。 レギュラーエディション185部がヴェラン・ダルシュ紙に、ローマ数字バージョン35部がジャポン・ナクレ紙に、、若干数のHC(非売品)がヴェラン・ダルシュ紙に、若干数のEA(作家保存版)がヴェラン・ダルシュ紙とジャポン・ナクレ紙にそれぞれ刷られました。 本作品はレギュラーエディションの185部の中の一点です 制作されてから40年以上経過していますが、保存状態も良くシミや焼け、波うち、色落ちなど一切ありません。 額縁は新品額をお付けしてお届けいたします。 荻須高徳(おぎすたかのり) プロフィール 1901年愛知県中島郡稲沢町(現稲沢市)に生まれる。 1927年東京美術学校西洋画科を卒業後、渡仏する。 佐伯祐三のグループに入り、佐伯祐三の影響を受けながらユトリロ風の風景画の油絵の絵画を制作する。 1929年この年からサロン・ドートンヌ、サロン・デ・パンダンに油絵の絵画を毎年出品する。 1934年スイスのジュネーブで最初の油絵の絵画の個展を開催する。 1936年サロン・ドートンヌ会員に推挙される。 1940年第2次世界大戦のため帰国、新制作協会会員に迎えられ、第5回展に滞欧作の油絵の絵画を特別陳列し評価を確立した。 1948年日本人画家として戦後はじめてフランスへの入国を許可されて再渡仏、以後パリを中心に油絵の絵画の制作活動を展開する。 1953年油絵の絵画によりポピュリスト絵画賞を受賞する。 1954年油絵の絵画により毎日美術賞を受賞する。 1956年レジオン・ドヌール勲章を受賞する。 1962年油絵の絵画により中日文化賞を受賞する。 1973年パリ市より、メダイユ・ド・ヴェルメイユを授与される。 1976年在仏50年記念の油絵の絵画の回顧展が開催される。(パリ市主催) 1977年サロン・ナショナル・デ・ボザールの会員となる。 1981年文化功労者となる。 1986年パリで歿する。 没後、文化勲章を受賞する。 的確、堅固な構成力と詩情漂う油絵の絵画の作風により、最後までパリの下町風景を主に描き続けた。
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17位
¥180,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
●画家名:マルク・シャガール ●作品名:赤い馬と太陽 ●絵のサイズ:W42×H31cm ●額装サイズ:W64×H53cm ●版画の技法:リトグラフ ●サイン:作家直筆サインは入っていません ●納期:7日 マルク・シャガールがリトグラフの版画で制作した馬の絵「赤い馬と太陽」は、1979年10月にリリースされたリトグラフの版画です。 この馬の絵のリトグラフの版画は今は無きマーグ画廊が発行していた美術誌「デリエール・ル・ミロワール」の235号のために制作されたマルク・シャガールの本物のオリジナルリトグラフです。 この当時20,000部が発行されましたが、マルク・シャガールの直筆サインや限定番号は入っていません。 この他に同じ版で制作されたヴェラン・ダルシュ紙に広い余白付きで限定番号とマルク・シャガールの直筆サイン入りの作品が50部制作されています。 制作されてから40年以上の月日が経過していますが、染みや色落ち、焼け、波うちなど一切ない完璧な保存状態です。 ちなみに額は新品です。 古い作品ほど価格よりも保存状態が大事ですので、くれぐれもご購入の際にはお気を付けください。 マルク・シャガール プロフィール 1887年ロシアの貧しい村ヴィテブスクに生まれる。 両親はユダヤ人。 1907年ぺテルスブルグの美術学校で絵画を学ぶ。 1913年以後詩人ブレーズ・サンドラール、マックスシ・ヤコブをはじめ、レジェ、モジリアーニ、ドローネなどの画家と知り合い、詩人アポリネールと親交を結び、アンデパンダン展に油絵の絵画を出品する。 1914年ロシアに帰る。 ベルリンで油絵の絵画の初個展を開催する。 初期の油絵の絵画は印象派風だったが、ピカソを知り立体派の絵画に感化される。 1917年革命後の故郷で美術人民委員に選ばれたが、マーレヴィッチとの不和でパリに戻る。 やがて、明るさと思索性、神秘性をあわせたシュールレアリスムの絵画の作風を確立する。 1922年ベルリンへ寄り、版画家ヘルマン・シュトックを知り、銅版画の技法を習得する。 同年最初の銅版画「わが生涯」を出版者、カッシラーの依頼で制作する。 1923年パリへ渡る。 画商、ヴォラールの依頼によりゴーゴリーの「死せる魂」及び、ラ・フォンテーヌの「寓話」の銅版画を制作する。 1931年ヴォラールの依頼で壮大な主題「バイブル」に取り組むためパレスチナへ旅行する。 1939年カーネギー賞を受賞する。 1945年ニューヨーク近代美術館及びシカゴ・アート・インティテュートで油絵の絵画の回顧展が開催される。 1948年リトグラフの版画「アラビアンナイト」を発表する。 ヴェニス第25回ビエンナーレ版画賞を受賞する。 1954年ギリシャへ旅行する。 リトグラフの版画「ダフニスとクロエ」の仕事を開始する。 1956年サーカスをテーマにリトグラフの版画を制作する。 銅版画「バイブル」を発表する。 1958年リトグラフの版画「デッサンバイブル」25点を制作する。(1960年発表) 1963年パリ・オペラ座の天井画を制作する。 東京、京都で油絵の絵画の大回顧展が開催される。 1965年カラーリトグラフの版画「エクソダス」を制作する。 1967年生誕80周年を記念して、チューリッヒ・ケルンで油絵の絵画の大回顧展が開催される。 ルーブル美術館で「聖書の使命」展が開催される。 1976年東京国立近代美術館で個展を開催する。 1985年逝去
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18位
¥380,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
●画家名:中島千波 ●作品名:醍醐桜 ●絵のサイズ:W78×H38,5cm ●額装サイズ:W103×H65,5cm ●版画の技法:シルクスクリーン ●サイン:中島千波直筆鉛筆サインと落款 ●納期:7日 日本画家・中島千波さんがシルクスクリーンの版画で制作した和の桜の絵「醍醐桜」は、2001年に制作された和の桜の絵です。 このシルクスクリーンの版画の限定枚数は350部ですが、本作品はそれとは別のPP版(刷り師保存版)です。 この和の桜の絵のモチーフになった「醍醐桜」は、岡山県真庭郡落合町にある江戸彼岸桜で、根元の周囲は9,2m、樹高18mで均整のとれた美しい姿の桜です。 樹齢は推定700年で、京都を追われた後醍醐天皇が、この地を通られた時に植えられたという伝説が残っています。 この和の桜の絵「醍醐桜」は、リリースされるとすぐに売り切れてしまう程の人気を博し、現在はマーケットでもなかなか見つかりません。 制作されてから20年以上経過していますが、保存状態は完璧でシミや焼け、浪打、色落ちなど一切ありません。 中島千波 プロフィール 1945年長野県、小布施に生まれる。 1969年東京芸術大学美術学部・日本画科を卒業する。 1971年東京芸術大学大学院を修了する。 1979年山種美術館賞展で日本画の絵画により優秀賞を受賞する。 1992年おぶせミュージアム・中島千波美術館が開館する。 2000年東京芸術大学美術学部・教授に就任する。 2004年成田山東京別院深川不動尊の仏殿に約200畳大の天井画を完成させる。 2009年大三島西向山万福寺の障壁画「春輝枝垂れ桜」が完成する。
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19位
¥280,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
●画家名:ベルナール・カトラン ●作品名:赤いテーブルクロスの上のライラックの花束 ●絵のサイズ:W45,1×H63,4cm ●額装サイズ:W71×H90cm ●版画の技法:リトグラフ ●サイン:カトラン直筆鉛筆サイン ●納期:7日 ベルナール・カトランがリトグラフの版画で制作した花の絵「赤いテーブルクロスの上のライラックの花束」は、1984年に制作されたリトグラフの版画です。 この花の絵のリトグラフの版画の正式なタイトルは「Lilac Bouquet on a Red Tablecloth」です。 このリトグラフの版画は、レギュラーエディションが165部でアルシュ紙に刷られています。 その他にローマ数字のバージョン5部が日本の和紙に、僅かな数のEA(作家保存版)がアルシュ紙に刷られています。 本作品はアルシュ紙に165部刷られたレギュラーエディションの中の一作です。 ベルナール・カトランの画家としてのセンスや才能の凄さが一目で伝わってくるような素晴らしい花の絵のリトグラフの版画だと思います。 この花の絵のリトグラフの版画は、制作されてから35年以上経過していますが、保存状態は完璧でシミや焼け、波打ち、色落ちなど一切なく、額は新品です。 ベルナール・カトラン プロフィール 1919年パリに生まれる。 1945年パリの国立高等美術工芸高校に入る。 1950年油絵の絵画によりブリュメンタル賞を受賞する。 1957年この年からパリ、ニューヨークなどで油絵の絵画の個展を開催する。 また各種のグループ展に油絵の絵画を出品する。 1965年東京の吉井画廊で初の油絵の絵画の個展を開催する。 1972年モンテカルロのアンドレ・ソーレ社刊、ジルベール・セスブロン「犬と狼の間」のための挿絵として9枚のリトグラフの版画を制作する。 1973年ニューヨーク、東京をはじめ各地で油絵の絵画の個展を開く。 1976年母、マドレーヌ・カトラン・テライユの思い出のため、リトグラフの版画50部をヴァランスの美術館へ寄贈する。 1983年俳句に絵をつけた版画集<俳諧十選>が好評を博す。 1984年東京で「俳諧十選」による小品展を開催する。 1987年リトグラフのカタログレゾネの出版を記念して大阪、神戸、東京にてベルナール・カトラン出席のもと大規模なリトグラフの版画展が催される。 1990年東京と大阪で開催されたリトグラフ・タペストリー展のため滞在中に制作した6点のリトグラフィ・モニュメンタル(115×235cm)が、1991年5月シカゴで発表され話題となった。 1995年フランス大統領フランソワ・ミッテランよりレジオン・ドヌール勲章を授与される。 2004年4月17日、心臓疾患のためパリ市内の自宅にて逝去。84歳。
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20位
¥55,000 円
評価: 0
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アートギャラリーモトカワ
●画家名:ジョアン・ミロ ●作品名:ノーサイン・24 ●絵のサイズ:W24,5×H32cm ●額装サイズ:W43×H54cm ●版画の技法:オリジナルリトグラフ ●サイン:サインはありません ●納期:7日 ジョアン・ミロがリトグラフの版画で制作した抽象画の絵「ノーサイン・24」は、ジョアン・ミロ自身が生前に制作したオリジナルのリトグラフの版画です。 この抽象画の絵は、カタログレゾネと呼ばれる版画の画集のために制作されました。 ブックタイプと呼ばれ、もともと画集に添付されていた抽象画のリトグラフの版画です。 ジョアン・ミロの直筆サイン入りの版画ですと何十万、作品によっては百万円を超える価格が付いていますが、オリジナルのリトグラフでもノーサインだと、まだまだ気軽にご購入できます。 この抽象画の絵「ノーサイン・24」をじっと見ていると、何となく宇宙船のように見えてきます。 宇宙を何処かに向かって飛んでいるような、そんなイメージです。 一枚の絵が、壮大な宇宙空間を想像させる素晴らしいリトグラフの版画だと思います。 ジョアン・ミロ プロフィール 1893年スペインのバルセロナに生まれる。 両親から譲り受けた近郊のモントロイドの農場に住む。 1912年フランシスコ・ガリ美術学校に入学する。 1924年ブルトン、アラゴン、エリュアールらの詩人たちと知り合い、シュール・レアリストの一員となり、シュールレアリスム運動に参加する。 1937年パリ万国博覧会のスペイン館のために壁画を制作する。 1941年ニューヨーク近代美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 1954年ヴェネツィア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞する。 1959年ニューヨーク近代美術館、ロサンゼルス美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 ユネスコ本部の壁画に対しグッケンハイム財団国際大賞を受賞する。 1962年パリ市美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 1966年東京国立近代美術館、京都国立近代美術館で油絵の絵画の回顧展が開催される。 1976年スペインのバルセロナに「ジョアン・ミロ財団現代美術館研究所」を開設する。 1983年マジョルカ島のパルマで死去。 オートマティスムの絵画の手法により、幻想的な画風を通過し、オブジェやコラージュも手掛ける。 第二次世界大戦中の連作「星座」にみられるように、「星」、「女」、「鳥」などの象形文字に似た形象を駆使して、子供のような無心さの横溢する絵画の画面をつくりだした。 ジョアン・ミロの油絵の絵画やリトグラフの版画作品と生地、カタロニアの風物とが深く密に結ばれていることは、よく指摘されるところである。 2度目の来日の際に、瀧口修造と詩画集を合作している。
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